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7) 明治期

 明治維新によって国内政治・社会情勢は大きく変化したが、辺境の伊勢谷まで、その変化が急激に押し寄せたという形跡はない。

 村人の意識や生活環境の変化は緩やかであり、道路が徐々に改修され、交通が便利になるにつれ、日常生活も変化していった。その辺に焦点を当てながら時代変遷を概観してみよう。

ア)明治期の主な出来事

★明治元年(1868)   明治維新
★明治2年(1869)   版籍奉還
★ 〃       関所の撤廃、居住・移転の自由

★明治4年(1871)4月 戸籍法制定
★ 〃     7月 廃藩置県、藩を改め県となる。郡上県、
          大野県となる
          
★ 〃     9月 土地制度の改革に着手、田畑の作付制限を
          撤廃
★ 〃    11月 穴馬郷諸村は福井県へ転管となる。
★ 〃    12月 福井県が廃され足羽県となり、穴馬郷諸村
          は第69大区に含まれ戸長役場を長野村に置
          く。

★明治5年(1872)2月 第14大区に改まり、戸長役場を大谷村に置
          く。
★ 〃     2月 田畑永代売買の禁止を解除
★ 〃     8月 学制公布 職業の自由を許す
★ 〃    11月 地価を定め、土地所有者に地券を発行。
          土地所有権を確認したもので、近代的な
          私有財産制の基礎を固めた。(地券制度)
★ 〃    12月 太陽暦を採用、12.3を明治6年1月1日とす
          る。

★明治6年(1873)6月 石高の称を廃し、段別賦課に改める。
   〃    7月 地租改正条例公布
★  〃    9月 敦賀県となり、大野郡は第24〜31の8大区
          となり、さらに各大区を5〜6小区に分け
          た。穴馬郷諸村は第24大区の3〜6小区と
          なった。

★明治7年(1874)4月 区画改正、穴馬郷諸村は19大区2、3小区と
          なり、長野村に戸長役場が置かれた。

★明治8年(1875)2月 平民に必ず苗字を称させる。
★明治9年(1876)8月 敦賀県が廃され石川県になる。区画改正で
          穴馬郷諸村は第28大区に属した。

★明治10年(1877)  伊勢村、久沢村に大谷小学校分教場を設置
★明治11年(1878)7月 郡区町村編成法制定
          従来の大小区制が廃され、郡、町、村が設
          けられた。

★明治14年(1881)2月 越前・若狭11郡は、石川、滋賀県の管轄か
          ら分離し、新たに福井県を設置する。穴馬
          郷諸村は福井県の所管となった。
          この頃、伊勢3ヶ村は戸数47、人口272人
          (男146、女126)馬28、田畑4町5反余、物産
          として黄連、繭、楮、米、蝋石とある。

★明治20年(1887)10月西本願寺法主明如が穴馬道(東道)を大野町
          から美濃へと巡錫する。
          村人道路改修に奉仕する。

★明治21年(1888)12月福井県議会で穴馬道改修を可決
★ 〃      8月福井県が穴馬道の難所、下唯野から下山ま
          での改修工事に着工同23年(1890)6月竣工
          する

★明治22年(1889)  町村制施行
          穴馬郷12ヶ村(東市布・上半原・下半原・
          荷暮・箱ヶ瀬・持穴・面谷・大谷・野尻・
          米俵・久沢・伊勢)473戸が合併し、上穴馬
          村成立。伊勢3ヶ村は上穴馬村の大字とな
          る。
★ 〃       この年、美濃側から油坂隧道、道路大改修
          開始

★明治24年(1891)  伊勢3ヶ村の規模、東西23町余、南北1町
          余、戸数48、人口301人(男151、女150)、
          学校1

★明治26年(1893)  越美国境の難所、油坂隧道が開通する。
★明治27年(1894)8月 日清戦争
★明治37年(1904)2月 日露戦争
★明治43年(1910)8月 日韓併合条約を調印、韓国を併合し朝鮮総
          督府を置く