4 一向一揆とは
(1)「一向」とは
辞書をみると、一向とは「一向宗」の略とあり、語意に「ひたすら、いちずに」とあります。
(2)「一向宗」とは
浄土真宗の別名といわれ、一向(ひたすら)に阿弥陀仏を念ずる宗派の意から、主として他宗派から呼ばれた名として出てきました。
一向一念宗、門徒宗、無碍光宗ともいわれました。
開祖親鸞が「弥陀一仏の本願を信じて一心一向に弥陀の誓願に帰命せよ」と説いたので、世間では
その教義を「一向義」、信徒を「一向門徒」あるいは「一向念仏衆」などと呼び、それが語意の起源といわれます。
ところで仏教史からみると、本来は鎌倉時代の浄土宗の僧・一向俊聖(1239〜1287)が創めた仏教宗派だけが『一向宗』の正しい定義であるようです。
しかし、実際は戦国期における一向一揆の印象や江戸幕府による一向俊聖創立の『一向宗』の強制統合(「一向宗」の使用禁止と「時宗一向派」へ改宗)及び
浄土真宗の強制改名(「一向宗」の使用強要)に伴って、今日では浄土真宗を『一向宗』というのが一般的であります。
(3)「一揆」とは
○ 中世、小領主たちの同志的な集団又はその集団行動。
特に幕府・守護・領主などに反抗して、地侍・農民・信徒らが団結して起こした暴動のことで、土一揆・国一揆・一向一揆などと呼ばれています。
○ 江戸時代の百姓一揆。
○ 心を一つにすること。一致団結。
○ 程度・方法などが同じであること。一致すること。
と「大辞泉」には定義されています。
(4) 「一揆」の語意と変化
鎌倉・南北朝時代の「一揆」は、利害関係が共通する者同志が対等の立場で団結する時の呼称として用いられていましたが、
室町時代に入ると地域の民衆が団結して支配権力に対抗し、自己の要求を充足させようとする行動表現に変わってきました。
「一向一揆」とは一向衆徒の思想的な結合を指しますが、その実態は一向宗門徒の諸階層が宗教的連帯を核にして起こした武装蜂起であったといえます。
(5) 「一揆」の歴史的経緯と特徴
一向一揆は文明6年(1474)7月に発生した「文明6年一向一揆」に始まり、約1世紀後の
天正8年(1580)11月、織田信長の加賀制圧によって終息した約100年の歴史をもった戦いでした。
特に一向一揆の最盛期であった室町時代後期の社会情勢には
○ 下剋上的風潮に伴う階級闘争の激化
○ 荘園体制の崩壊
○ 地域的領国の形成と権力争奪の激化
○ 都市の形成と成立
等々の特徴が顕著ですが、そのいずれにも一向一揆は主体的に関わっており、それが本願寺教団の興隆期と一致します。
荘園体制化の階級闘争は、室町時代末期になると地域的集団性を強めて次第に組織化していきますが、
それが一向宗の信仰組織である「講」と結ぶことによって、より広範囲な地域に波及し、強力な一向一揆集団として登場しました。
荘園体制化の解放運動、いわゆる階級闘争が一向宗の宗教的イデオロギー及び宗教組織と結びついて
階級的にも地域的にも大きく広がっていったのが一向一揆の特徴といえます。
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