東部カナダ旅行3


カナダ東部にあるメープル街道地図 

5 第4日目…オタワ市からローレンシャン高原へ

 6:00頃起床、ホテル1Fレストランで7:00頃、朝食。9:00ホテル前から貸切バスに乗車、オタワ市内を観光、バイワードマーケット街のレストランで昼食をとり、ローレンシャン高原へ向かった。距離約250`、所要時間約2時間30分である。

フェアモント・シャトー・ローリエの外観  オタワからローレンシャン高原へ 

▼オタワ市の概要

 オタワはカナダ・オンタリオ州東部に位置する州内の一都市であるが、カナダの首都でもある。オタワ川を挟んで隣接するガティノーを含め連邦政府の行政機関が集中している。

 また、オタワはケベック州の都市ガティノーを含めた周辺都市を含めオタワ首都圏を形成している。市域人口は約81万人で、国内ではトロント、モントリオール、カルガリーに次ぐ4番目である。

 広域圏人口は113万人になるが、カナダの中でトロント等のような大都会というわけではない。

 1826年〜1831年に軍事目的でオタワ川とオンタリオ湖を結ぶリドー運河が建設されたが、この時測量を担当した軍人の名にちなんでバイタウンの小村が生れた。これが今日のオタワの母体となった。

 1854年に市街再編、川の名からオタワに改名された。当時首都の決定を巡ってケベック、モントリオール、キングストン、トロントの4都市が激しく競い合ったが、1858年、ビクトリア女王の独断で英仏両勢力のほぼ境界に位置するオタワ(当時の人口約2万人)が選定されたという。

 連邦政府の議事堂は丘の上にあるため「パーラメント・ヒル」と呼ばれ、そのゴシック様式の建物は観光の目玉になっている。

 他に首相官邸、カナダ総督の公邸リドーホール、ノートルダム聖堂がある。また数々の美術館や博物館がある。

 市内にはイタリア人街や中華街、ユダヤ人街が点在し、ソマリアからの難民が多いのが特徴である。インドシナ難民の受け入れをオタワが積極的に行ったため、ベトナム、カンボジアからの難民も多い。


 国会議事堂センターブロック 国会議事堂イーストブロック 
 
バイワードマーケット バイワードマーケット
 リドー運河風景 リドー運河の起点8つの水門風景 
 オタワ市街地

▼国会議事堂

 オタワ川を見下ろす丘、パーラメント・ヒルに建つ国会議事堂は青銅の屋根をもつゴシック建築である。

 イースト、ウエスト、センターの3ブロックからなり、センターブロックには高さ89.5mの平和の塔がそびえ、オタワのシンボルになっている。

 53個のベルを備えたカリヨン(鐘楽用の組鐘)と巨大な鐘、戦没者を祀る追悼室がある。この下がセンター・ブロックの入口で、上院、下院の本会議場などがある。

 展望台にもなっていて市内を一望できる。最初の建物は1867年に完成したが火災で焼失し、現在の建物は1922年に再建されたものである。

 内部の見学ツアーが常時行われており、英語あるいはフランス語のガイドが付く。前庭中央では建国100年を記念して1967年に点火されたセンテニアル・フレームが燃え続けている。

 またこの前庭では、6月末から8月末までの毎日朝10時から衛兵交代式が行われている。赤い制服に黒の毛皮帽を被った衛兵が

バグパイプを先頭にエルジン通りを経てパーラメント・ヒルにやってくるのが壮観そのものだというが、季節が外れのため見物できなかった。

▼バイワードマーケット

 このマーケットは1826年、リドー運河建設を指揮したジョン・バイ大佐によって開かれた歴史的市場。ここを中心にオタワの街は広がっていった。

 運河の東側、国会議事堂からもほど近い一帯に広がるこのマーケットは、建物内に入る店舗のほかに260のスタンドが並ぶアウトドアエリアもあり、全部で約500店が集まっている。

 カラフルなベリー類や野菜、メープルシロップなど近隣農家の食材が買えるだけでなく、ギフトショップやレストランなどもぎっしり。ほとんどの店が1年を通じて毎日営業し、庶民的な雰囲気に溢れている。

▼リドー運河(延長202km)

 この運河は当初、軍事目的で造られた水路であった。1812年の米英戦争以来、脅威となっていたアメリカからの攻撃を避けるために必要だった。

 当時、イギリスの植民地であったカナダの中心地はキングストンで、ヨーロッパなどからの物資輸送は、大西洋と繋がっているセント・ローレンス川に頼っていた。

 しかし、この川はアメリカとの国境を流れており、常に攻撃の危険にさらされていた。そこで考えられたのがモントリオールからオタワ川を北上し、さらに安全な内陸部を通ってキングストンまで南下してくるという迂回ルートであった。

 こうしてオタワ川から分岐可能な地点(現在のオタワ)とキングストンのオンタリオ湖を結ぶ総距離202kmの運河建設が始まったのである・

 完成は1832年の夏、イギリス軍の技術者でもあったジョン・バイ大佐の指揮の下、膨大な数の労働者を動員して6年間という短期間で造り上げられた。

 元々あった川や湖なども最大限に利用した運河であるが、固い岩盤の土地である上、ほとんどは未開の原野で湿地帯も多く、事故やマラリアで命を落とした労働者も少なくなかったという。

 陸上輸送、空の輸送手段が主流となった現在でも、リドー運河はカナダの歴史的水路として、カナダ国立公園管理局(パークスカナダ)によって管理されている。

 ほとんどの水門も当時のまま使われており、2007年にはその歴史的価値が認められ、ユネスコの世界遺産として登録された。
 
 興味深いのは、水門のシステムであり、運河は丘陵を超えて伸びているためキングストンから一旦50m上昇し、更にオタワに向けては83m下がるという標高差を克服しなければならない。

 このため、途中27ヵ所の水門が設けられ、合計49ヵ所もの地点に細かく水位調節をする水門が設けられている。

 運河の起点には8つの水門があり25mの高低差を上がっていく仕組みになっている。冬には世界最長の天然リンクと化し運河ではアイススケートが楽しめるという。

ゴンドラに乗ってモン・トランブラン山頂へ ゴンドラから見下ろすモン・トランブラン・リゾート
モン・トランブラン山頂  モン・トランブラン山頂から見渡す紅葉風景 

▼ローレンシャン高原

 モントリオールの北部に広がるローレンシャンは、標高1000m前後の山々が連なる高原地帯。ケベック州でも紅葉の名所として知られるリゾート地であり、

紅葉の美しさではメープル街道周辺で屈指のエリアである。そのローレンシャン地方の観光の中心地がモン・トランブラン・リゾート。

 紅葉に染まった標高875mのモン・トランブランの麓には瀟洒なリゾート施設が建ち並び、山頂へはゴンドラでアクセスできる。

 ゴンドラから見える美しいカエデ風景は素晴らしい。山頂の360度見渡せる展望台からぐるりと紅葉に染まったローレンシャン高原が一望できる。

▼モン・トランブラン・ビレッジ

 オタワから貸切バスで2時間半、ケベック州モントリオールから北へ1時間半のローレンシャン高原の麓にモン・トランブラン・ビレッジがある。

 モン・トランブランとは山の名前で、フランス語で「震える(揺れる)山」を意味する。山頂の高さは875mで周辺の山々で2番目に高い。紅葉の名所として知られ、毎年秋の時期になると紅葉目当てに多くのツアー客が訪れる。

 1991年頃からモントランブラン・ビレッジの建設がリゾート地内で始められ、新しいリフトやゴンドラなどが導入された。

 歩行者専用道路やお洒落なショッピング街、スロープサイドに宿泊施設などが立ち並び、東部カナダでもユニークなリゾート地になった。

 ビレッジ(集落)の高い地点から山の頂上までは有料のゴンドラで結ばれている。モン・トランブランは四季折々に活気があり、谷に囲まれた小さな湖や鬱蒼とした針葉樹林に加え、1千以上のコテージ(別荘)がある。

ホテル・フェアモント・トランブラン ホテル・フェアモント・トランブラン

▼ホテル・フェアモント・トランブランに宿泊

 ローレンシャン高原の紅葉を堪能した後、夕方、モン・トランブラン・ビレッジの山頂へのゴンドラ乗り場に一番近い高台にあるホテルにチェックインした。

 モン・トランブランでは唯一のフルサービスのホテルであるとのこと。19:00頃、ホテル内バンケットホール(宴会場)で一行と一緒に夕食会を楽しんだ。