![]() |
カナダ東部にあるメープル街道周辺地図 |
4 第3日目…トロント市からアルゴンキン州立公園へ ▼ヒルトンホテルからアルゴンキン州立公園へ 6:00頃、起床、7:00頃、ホテル1Fレストランで朝食。9:00ホテル前から貸切バスに乗車、アルゴンキン州立公園へ向かった。距離約250㌔、所要時間約2時間30分である。 ▼トロント市の概要 カナダ・オンタリオ州にある都市。同州最大の都市で州都である。オンタリオ湖岸の北西に位置し、人口約260万人(都市圏人口約590万人)の北米有数の世界都市である。 ヨーロッパからの入植が見られる以前からトロント周辺地域には、紀元前1500年前にイロコワの部族から土地を占領した先住民ヒューロン族が定住していた。 「トロント」の地名は、言語学的にはモホーク族の言葉で「水の中に木が立っている場所」を意味する「tkaronto」に由来し、フランス人探検家や地図製作者を介してトロントになったという。 18世紀中頃からオンタリオ湖岸北部への入植が進み、1787年、イギリスはオンタリオ湖北部の土地を所有していたミシサガ族と交渉し、僅かな資金で土地を購入した。 1793年、すでにあった入植地の上に町が設立されヨークと名付けられた。初代副総督シムコーはアッパーカナダの首都をニューアーク(現在のナイアガラ・オン・ザ・レイク)からヨークに遷都した。 1813年、米英戦争の最中、ヨークの戦いで町はアメリカ軍に占拠略奪され、5日間の間にヨーク砦は破壊され、国会議事堂も焼失した。 1834年3月、人口9000人であったヨークの町は市制となり、名称を「トロント」へ改称した。その後、19世紀の終わりにかけて、トロントはカナダの代表的な移民先となり、急速に発展した。 トロントは短い期間だが2回、連合カナダの首都になっているが、ケベックを経てカナダ自治国が誕生する1867年の前年に首都は現在のオタワへ移った。 1793年以来、アッパーカナダ(現オンタリオ州)の首都であったことから、1867年のオンタリオ州設立の際に州都になり、市内のクイーンズパークに州議会議事堂が建設された。 |
![]() |
![]() |
ヒルトンホテルの外観 | トロントからアルゴンキン州立公園へ |
![]() |
トロント中心市街地 |
▼オンタリオ州の概要 オンタリオ州は、北は北極海につながるハドソン湾に面し、南は五大湖のオンタリオ湖、エリー湖、ニューロン湖、スペリオル湖に面し、カナダ国内では最も南に位置する地方を含む。東はケベック州に接し、西はマニトバ州に接する。 「オンタリオ」は先住民イロコワ族の言葉で「美しい湖(水)」という意味であり、オンタリオ州には湖がおよそ25万か所、川は10万キロにわたる。 カナダの州の中では最も人口が多く、国全体の人口の約3分の1がこの州に集まっており、カナダの政治・経済の中心になっている。 カナダの中東部に位置し、州都はカナダ最大の都市トロント。連邦政府の首都オタワはイギリス系の当州とフランス系のケベック州との境界に位置するが、 アメリカ合衆国の首都ワシントンDCなどのように中央政府直轄地ではなく、あくまでオンタリオ州に属する一都市という位置付けである。 当州にヨーロッパからの移民がやってくるまでは、この地域にはアルゴンキン族(オジブワ族、クリ―族を含む)及びイロコワ族(ヒューロン族を含む)が住んでいた。 17世紀初頭からヨーロッパの探検家がやって来て、イギリス人はハドソン湾岸、フランス人は主に五大湖周辺に植民を開始した。 1763年に締結した七年戦争の講和条約「パリ条約」により、北米のフランス領土(ヌーベル・フランス)は、ほとんどすべてイギリスに譲渡することになった。 1774年にはオンタリオも英領ケベックとして併合。その後1783年から1796年の間、アメリカ独立戦争を受けて、イギリスは本国政府に従順で、独立13州を離れ、オンタリオ地区へ流入する市民を援助した。 この期間にオタワ川以西の地域の人口が増加。1791年に旧ケベックがオタワ川を挟んで東側の「ローワー・カナダ」(現在のケベック州)と西側の「アッパー・カナダ」(現在のオンタリオ州)の2地域に分割統治されることになった。 1813年の米英戦争後、本国からの移民が増え、政争・蜂起が起こり、カナダ全土(当時のアッパーカナダとローワーカナダ)に広がった。 その後、蜂起が治まり、本国政府はケベックに自治権を与える条件でカナダ地域を再度統合し、オンタリオでも1848年に議会制自治政治が開始された。 以後、アメリカ南北戦争など更なるアメリカからの侵略に備え、北米における英領植民地を広範囲に統合するため、1867年7月英領北アメリカ法が制定され、「カナダ自治領」が成立。 カナダ自治領は4つの州(オンタリオ、ケベック、ノバスコシア、ニューブランズウィック)で構成され、そのときトロントが州都となった。1889年には北西オンタリオ地域が正式にオンタリオ州に併合された。 第二次世界大戦後、特にトロント大都市圏を中心に世界各国からの移民を受け入れ、オンタリオ州はカナダの中でも最も経済成長の大きな地域となる。 |
![]() |
![]() |
アルゴンキン州立公園 | アルゴンキン州立公園風景 |
▼アルゴンキン州立公園 この州立公園は、カナダ・オンタリオ州のジョージア湾とオタワ川の中間、マスコーカ地方に位置する公園である。 1893年に制定されたカナダで最も古い州立公園で、カナダ国定史跡にも指定されている。その大きさは面積にして7653.45㎢で静岡県や宮崎県とほぼ同じ広さを持っている。 トロントとオタワなどの大都市からも近いことから州内で最も人気のある公園の一つで、公園内には2400以上の湖沼があり、1200kmにも及ぶ川が流れている。 ビーバー、キツネ、ムースなど1000種以上に上る動植物が生息しており、自然観察をする重要な区域でもある。また、アメリカアカオオカミの保護生息地に指定されている。 このウエストゲートに昼頃、到着し、公園内の大自然の中に建っているレストランでカレーライスを食す。休憩後、公園内を約30分ほどハイキングし、その後、43km離れたビジターセンターを見学した。 ▼アルゴンキン・ビジターセンター このセンターは1993年にオープンし、公園の自然と人類の歴史について世界に誇る数々のものが展示されている。 先住民の歴史やこの地方に生息するムース(ヘラジカ)、ビーバー、クロクマなど野生動物のはく製を興味深かく見物できた。 15:45頃、ビジターセンターを出発、貸切バスの車窓からメープル街道の紅葉風景を眺めつつ約3時間かけてオタワへ向かった。 |
![]() |
![]() |
先住民(人形)の暮らし | ムース(ヘラジカ)のはく製 |
![]() |
![]() |
ムース(ヘラジカ)のはく製 | クロクマの親子(はく製) |
▼オタワ市内のホテル 19:00頃、オタワ市ダウンタウンの中心に位置し、リドー運河に沿ってそびえる古城を思わせるホテル(フェアモント・シャトー・ローリエ)に到着、チェックインした。 ホテル4F443号室に落ち着き、19:50頃、ホテル近くの中国人経営レストランへ出向き巻き寿司などで夕食をとった。 |
![]() |
![]() |
ホテル・フェアモント・シャトー・ローリエの外観 | ホテル・フェアモント・シャトー・ローリエの外観 |
▼フェアモント・シャトー・ローリエ 青銅の屋根をもつお城を改造した豪華ホテルで、世界の著名人に親しまれている。客室は429室あり、スタンダートからスイートまで6種類あって、ジュニアスイートはリビングルーム付きである。 レストランはピアノの調べの流れるカジュアルとフォーマルの各タイプがありヘルスクラブなどが完備している。 |