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カナダ及びアメリカ東部の国境付近・五大湖周辺地図 |
1 はじめに 2004年9月下旬、1週間かけて東部カナダを観光旅行した。主な見どころは、ナイアガラの滝、紅葉のメープル街道、ローレンシャン高原、世界遺産ケベックシティの散策である。あれから早や十数年、忘れかけている記憶を呼び戻す意味で、改めて旅の思い出を辿ってみた。 2 第1日目…名古屋空港からデトロイト経由でバファロー国際空港へ 13:20頃、名古屋空港からノースウエスト航空72便に搭乗、アメリカのデトロイト国際空港へ向かう。目的地までの所要時間は約11時間30分、途中、日付変更線を通過(時差−13時間)し、 当日の11:50頃、デトロイト国際空港に着陸。1時間45分後の13:35頃、ノースウエスト124便に乗り換え、アメリカ、ニューヨーク州バファロー国際空港へ向かった。 ▼バファロー国際空港 約1時間後の14:40頃、アメリカ合衆国ニューヨーク州バファロー市の玄関口、バッファロー国際空港に到着。同空港はアメリカ国内線及びカナダへの便が発着している。ここで入国手続後、貸切バスに乗車、約1時間後の16:00頃、カナダ、オンタリオ州のナイアガラフォールズに着く。 レインボーブリッジ近くの入国事務所で手続後、ナイアガラの滝近くに建つホテル、シェラトン・オン・ザ・フォールズにチェックインした。 ▼バファロー市(アメリカ合衆国ニューヨーク州) ニューヨーク州北西部にあるエリー郡の都市。ニューヨーク州第2の都市で重要な工業都市である。エリー郡とナイアガラ郡にまたがる都市圏では人口約117万人という。 バファロー市は五大湖の一つエリー湖の東端に接し、ナイアガラ川の始点を持つ。ナイアガラ川はナイアガラ滝を経てオンタリオ湖に達している。 そのためバファロー市はアメリカ側におけるナイアガラ観光の基地としての役割を持っている。また、エリー湖とハドソン川を結ぶエリー運河の起点でもあり、五大湖の水上交通において重要な都市でもある。 市の名前は地元を流れる小川の名に由来、一般にはフランス語beau flauve(美しい流れ)が転化したものと言われる。同市はアメリカ合衆国の他の主要都市よりカナダのトロント市に地理的に近い。 ▼ホテル(シェラトン・オン・ザ・フォールズ)に宿泊 18:00頃、ホテル11F1175号室に落ち着く。19:00頃ホテル内レストランでバイキング料理で夕食をとる。時差の関係でほとんど睡眠がとれなかったため、疲れて早目に就寝する。 深夜0:30頃異常ベルが10分間ほど鳴ったが部屋から出ず、そのまま寝てしまった。翌日、ホテル内でボヤが発生したことを知った。 |
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シェラトン・オン・ザ・フォールズの外観 | ホテルの位置とナイアガラの全景 |
3 第2日目…ナイアガラフォールズからトロントへ 5:30頃起床、6:30頃、ホテル内レストランで朝食。7:30頃貸切バスに乗車、ナイアガラ観光に出発する。 ▼ナイアガラの滝の概要 世界3大瀑布の一つ、ナイアガラは先住民族の言葉で「ホワイト(白い)、サンダー(雪のような)、ウォーター(水)」を併せた 「偉大な水の雪」という意味をもつ「オングィアーラ」という言葉が英語になるとき一部変化して「ナイアガラ」と呼ばれるようになったといわれる。 五大湖のエリー湖からオンタリオ湖をつなぐナイアガラ川の中間点に立ちはだかる滝で、アメリカとカナダの国境をも兼ねている。 カナダ滝は幅670m、落差54m、滝つぼ56mもある巨大な滝で、馬の馬蹄のような形をしており、流れ落ちる水量では、アメリカ滝の約10倍の規模を誇る。アメリカ滝は幅320m、落差34mと発表されている。 滝の浸食は今も続いており、浸食を最小限に食い止めるためカナダ滝は、滝からやや上流に設置されたコントロールゲート(水門)で水量を調整しており、アメリカ滝は滝つぼを埋めている岩で防がれている。 この滝は1678年、フランス人宣教師ルイ・エネピンにより発見されたが、当時の水量は現在のおよそ2倍はあったといわれ、 滝の発祥は今から約11億2000万年前で現在の滝の位置からおよそ11kmもオンタリオ湖寄りにあったと推定されている(1年に3cm浸食している)。 ▼「霧の乙女号」に乗船し、ナイアガラ瀑布の迫力を満喫 乗船場でポンチョ(ビニールカッパ)を着用し乗船、カナダ滝の滝つぼ近くまで接近し、霧と水しぶきを浴びながら体感、まさに圧巻の一言、この旅行の超目玉である。 「霧の乙女」とは、先住民族であるオンジアラ族の伝説上の聖女のこと。その名を冠して遊覧船は1846年に創業され、150年の歴史をもっている。 乗客全員に青いポンチョが渡され、船はエンジン全開で滝つぼに向かっていく。そして水の流れにかなわなくなったところでUターンする趣向である。 屋根のない2階甲板に上がって見た人は、水しぶきでびしょ濡れになるが、それが楽しい。 |
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ナイアガラ・カナダ滝 | ナイアガラ・カナダ滝 |
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「霧の乙女号」に乗船 | 「霧の乙女号」とナイアガラ川 |
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▼ナイアガラ・オン・ザ・レイクを散策 ナイアガラフォールズから北へ約20km進んだオンタリオ湖の南端、ナイアガラの水がオンタリオ湖に注ぎ込むところにナイアガラ・オン・ザ・レイクがある。商店が点在する静かな街である。 メインストリートは、キング通りとの交差点から西へ200m続くクィーン通りで、19世紀のままのホテル、時計台、1869年創業当時のままのナイアガラ薬局博物館、劇場などの歴史的な建物、しゃれたショップが並んでいる。ここから住宅街を通って北東方向へ歩くと湖岸へ出る。 18世紀の終わり、オンタリオ州がまだアッパー・カナダと呼ばれていた頃は、州都はトロントではなくこの街であった。街並みは、その開拓時代の面影を色濃く残していて、それだけに訪れる多くの人の郷愁を誘う。 通りの家々は決して大きくはないが、手入れが行き届いており、まるで映画のセットのような美しさである。しかしセットと違うのは、この街はここで生まれ育った人たちが守り続けてきたということ。歴史が作った嘘のない美しさがある。 またこの地域は、広大なオンタリオ州の中で唯一ブドウ栽培のできる土壌を持っていて、街の周囲はブドウ畑ばかり。カナディアンワインの産地である。 ▼スカイロンタワーで昼食 ナイアガラ・オン・ザ・レイクを散策後、再びナイアガラフォールズへ戻り、3つあるタワーの中で一番高い地上160mの展望ドームをもつスカイロンタワーに到着。ナイアガラ滝を眺めながら昼食をとる。 |
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「ナイアガラ・オン・ザ・レイク」 クィーン通り | 「ナイアガラ・オン・ザ・レイク」沿岸とオンタリオ湖 |
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スカイロンタワーの外観 | スカイロンタワーからナイアガラ滝を遠望 |
▼スカイロンタワーからトロントへ 13:00頃、スカイロンタワーから貸切バスに乗車、トロント市へ向かう。所要時間は約3時間半。16:30頃、トロント市に到着。 市内を観光し「オンタリオ州議会議事堂」「トロント市庁舎」を見学し、ダウンタウンの中心に位置したホテル(ヒルトン・トロント)にチェックイン、12F1217号室に落ち着いた。 19:00頃、徒歩で近くのメトロポリタンホテル2Fにある中華料理店へ出向き、夕食、22:30頃就寝する。 ▼トロントのあらまし カナダ最大の都市トロントは、オンタリオ湖北岸に位置する。人口は約260万人(都市圏人口約590万人)、トロントの名は、先住民であるヒューロン・インディアンの言葉で「人の集う場所」という意味である。 フランス人探検家のシャンプランが、トロントを訪れたのが1615年。その後まもなくヨーロッパからの入植が始まり、フランス領として発展を始めたが、1759年に英仏間の7年戦争が終結すると、トロントはイギリス領になった。 その後、アッパー・カナダ(現オンタリオ)の首都であるナイアガラ・オンザレイクがアメリカ合衆国に近すぎるという理由で、首都がトロントに移され、一時ヨーク・ビルという名に変わったり、1812年の米英戦争によって焼け落ちるなど紆余曲折を経てきた。 1941年の移民政策後は、世界中から移民が集まり、近年は中国系移民が激増した。第2次世界大戦の際に日系人が強制収容され、戦争後の移住先にこのトロントを選んだため、カナダで最も日系人が多い町にもなっている。 |
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オンタリオ州会議事堂の全景 | トロント市新庁舎の全景 |
▼オンタリオ州議会議事堂 1993年に100周年を迎えた、ロマネスク様式の由緒ある議事堂。赤砂岩でできているため、ときにはピンク色の外観に見える。 現在もここで議会が開かれ、観光客でも傍聴することができるという。天然大理石やマホガニー材をふんだんに使った内装は、現代では考えられない豪華さだ。議事堂を囲むクイーンズ公園は市のシンボルになっている。 ▼トロント市新庁舎 写真には写っていないが、およそ100年前に建てられたロマネスク様式の旧市庁舎と、1965年建築の新市庁舎が並んで建っている。 しかし建築史的には、新市庁舎の方が見ごたえがある。なぜなら新市庁舎は、かのシドニーのオぺラハウスを造ったフィンランド人建築家ビルジュ・レベルの設計だからである。 円盤状の議事堂を囲むように、高さの異なる2つの湾曲したオフィス棟が建つという斬新な形である。前面のネイサン・フィリップ・スクエアにある大きな池は、冬は無料のスケートリンクになるという。 |