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第十代崇神天皇(御間城入彦)陵 |
45 おわりに
2月11日「建国記念日」という祝日を端緒に、その起源となる神武東征と建国の伝承について、
八木荘司著「古代からの伝言 日本建国」を引用しながら、建国の歴史を概観してきた。
浅学菲才のため『日本書紀』『古事記』を読んだことはないが、八木氏の著書を読んで、今まで敬遠していた古代史が非常に身近になり、
興味深く読むことが出来た。ここに私が理解した日本建国の歴史を紹介することにした。
この中で、特に興味深かったのは、皇紀元年を紀元前(BC)660年から西紀181年に置き換え推論したこと、
狗奴国を熊野国として倭国(旧邪馬台国)と対立させ、ヤマト建国の歴史と関連性を持たせたことである。
九州から東征した狭野尊の軍勢がヤマトの地元勢を制して建国したという伝承を史実或は史実の反映と見做すことは、
『日本書紀』の年代を除けば文献上も考古学の成果からいっても、これを否定すべき理由は見当たらない。
また、歴史学界では初代神武天皇(狭野尊)から第九代開化天皇(大日日尊)まで9人の天皇は実在性に乏しく、
第十代崇神天皇(御間城入彦)から実在の人物であるとの考え方が主流のようだが、前記著書を読めば初代から十代までの流れがよく理解できる。
古代ヤマト国家は狭野尊の建国後、徐々に勢力を拡大させて、その中心となる権力は3世紀末から4世紀初頭に奈良盆地の東南部、
三輪山の山麓周辺の地に成立した。歴史学上、その時期が明らかになってくるのが第十代崇神天皇(御間城入彦)の頃からであろう。
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