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坂井平野の水田風景 |
(12)安土桃山時代(西暦1573~1614)
天正元年(1573)信長は、不満を抱く諸大名と結んだ将軍足利義昭を降伏させ、将軍に味方した京都上京の町屋6,7000軒を焼き払いました。
ここに室町幕府は滅亡し、以後、慶長19年(1614)までの約42年間を安土桃山時代と呼んでいます。
天正2年(1574)、越前は一向一揆に占領され本願寺領国になっていましたが、守護代などの上級僧侶と末寺の僧侶、農民達との間に対立が起き争っていました。
天正3年(1574)、そこへ信長軍が攻め入り、僧侶、農民達を手当たり次第に殺し、その数は4万に上ったといいます。
この後、越前を領地として与えられた柴田勝家は、早速、刀狩りをして農民達から武器を奪いました。
天正10年(1582)6月、信長は京都の本能寺において家臣明智光秀に襲われ、自害しました。その後間もなく、羽柴秀吉が山城の山崎で明智光秀を破りました。
天正11年(1583)秀吉は賎ヶ岳の戦いで柴田勝家を破り、その後、大阪の本願寺跡に壮大な大阪城を築きました。
天正18年(1590)秀吉は相模の小田原城を攻めて北条氏を滅ぼし、東北の伊達政宗ら諸大名を屈服させて、本能寺の変から8年で全国を統一しました。
秀吉が最も力を入れたのが農民に対する検地と刀狩りで、天正10年(1582)明智光秀を滅ぼした翌月から山城で始められ、その後、全国で行われました。
この太閤検地は田畑の面積を調べ、年貢のもとになる収穫高、年貢を納める農民を調べました。
今までバラバラだった土地面積の単位及び年貢を決める基準を統一しました。
田畑の品質を4等級に分け、それぞれ標準収穫高を定めて米で何石という石高で
表して領地の収穫高が簡単に計算できるようにし、年貢は石高の約3分の2(二公一民)を現物で納めることとしました。
また、一地一作人の原則を定め、検地帳に一つの土地について、その土地の年貢を負担する農民一人の名を書かせました。
検地帳に名前を記された農民を本百姓といい、彼らは土地の耕作と年貢納入の義務を負わされ、土地を離れることを許されませんでした。
「百姓親子並びに親類、家一つに二世帯住むべからず、別々に家をつくるべし」として家父長制大家族を一夫婦を中心とする小家族に分けさせました。
この検地によって、長い間、武士の搾取に寄生し生き延びてきた貴族など古い荘園領主勢力は最終的に一掃されました。
天正19年(1591)農民は耕地を捨てて商売や賃仕事に出ることが禁止されました。
農民は厳しく土地に縛りつけられ、耕作放棄・離村・田畑の売買や質入れ・職業選択などが許されませんでした。
武士は城下に居住させられ、町人・百姓になることを禁じられ、兵農分離と士農工商の身分制度ができました。
こうして秀吉は全国の土地と農民を支配し、商人からも利益を搾り取る封建国家の最高権力者になりました。
1574(天正2)年11月 |
吉田郡の一向一揆勢、坂井郡豊原寺の頼照を攻撃し大敗。 |
1575(天正3)年8月 |
大乗院門跡尋憲、信長に興福寺領河口荘・坪江郷の回復を求める。 |
1575(天正3)年8月 |
信長、越前一向一揆を平定する。 |
1577(天正5)年 |
柴田勝家が領国内の検地を行う。 |
1578(天正6)年3月 |
柴田勝家、十郷井水普請に関する条々を出す。 |
1585(天正13)年8月 |
溝江長氏、秀吉から坂井郡金津で3000石を宛行われる。 |
1586(天正14)年1年 |
秀吉、溝江長氏に越前において3500石を宛行う。 |
1598(慶長3)年 |
長束正家らが越前の検地を行う。 |
1598(慶長3)年8月18日 |
秀吉死去 |
1600(慶長5)年11月 |
結城秀康、越前一国68万石拝領 |
1602(慶長7)年11月 |
今村盛次、坂井郡滝谷村への移住者に対し3年間無役とする。 |
1603(慶長8)年2月 |
徳川家康、征夷大将軍となり江戸に幕府を開く。 |
1613(慶長18)年 |
福井藩が金津に奉行所を設置する。 |
1614(慶長19)年11月 |
大坂冬の陣 |
慶長期の太閤検地帳には「常荒」「永荒」の記載が多く、戦乱が恒常化した戦国末期から近世初頭にかけ多くの田地が荒地となって広がっていました。
それは中世の農民と農業を取り巻く環境が厳しかったことを物語っています。しかし、中世後期の惣村は、積極的な鉄製農具の使用や稲の品種改良の成果など
新しい農業生産技術を取り入れるなど災害の克服、農業生産の安定に努めていました。
近世、こうした惣村の生活基盤が全国的に展開される集約的農業の原型を形成します。
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主な参考文献
福井県史通史編 福井県
福井県の歴史 印牧邦雄著
日本地名大辞典18福井県 角川書店
福井県大百科事典 福井新聞社
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