勝山街道


小舟渡〜勝山


現在の小舟渡橋(勝山市北郷町森川) 小舟渡の舟橋(吉田郡上志比村藤巻・明治末期)


2 勝山街道(小舟渡〜勝山)

 小舟渡で九頭竜川を渡ると森川村から右岸沿いを進み西妙金島村
(勝山市北郷町西妙金島)へ向かいます。

 次に皿川を渡って、松ヶ崎村
(勝山市荒土町松ヶ崎)を経由し、九頭竜川と滝波川が合流する付近の新保村(勝山市荒土町新保)に至ります。

 ここで滝波川を渡り、さらに滝波村
(勝山市村岡町滝波)内を流れる暮見川と浄土寺川を渡り、やっと勝山城下の入口、長淵の曲がり(勝山市栄町4丁目)に着きます。

 長渕には土居で囲われた食い違いがつくられて木戸番所があり、七里壁と呼ばれる崖下の街道筋に袋田町、郡町
(勝山市本町1丁目〜4丁目)など町屋(商家)が立ち並んでいました。

 街道は勝山城下の立石町
(勝山市立川町)で、大野へ通じる大野街道と坂谷・穴馬を経て美濃郡上八幡へ至る八幡街道に分かれました。



◎ 小舟渡の渡し【吉田郡上志比村藤巻・勝山市北郷町森川】

 この街道の難所といえば、中島村
【上志比村藤巻】で九頭竜川対岸の森川村【勝山市森川】へ渡ることでした。

 当時、中島村から東方の九頭竜川左岸は、断崖が連続する「歩危」でしたから、福井城下と

 勝山城下を結ぶ勝山街道は、福井藩領中島村から対岸の勝山藩領森川村の間が渡河点になりました。

 船元は代々森川村が勤め「越前地理指南」の森川村の項に「一小舟渡、川幅百四拾三間、水七尺、岸四間、渡守村アリ」とあります。

 大型舟三艘、小舟二艘を常備し、船頭は22人いました。おそらく、船頭は常時出勤したのでなく、交替で勤務したのでしょう。

 明治15年
(1883)下流の森田舟橋の古鎖を譲り受け、舟20艘をつないで舟橋をつくり、渡賃をとりました。

 現在の小舟渡橋
(長さ220メートル、幅4.1メートル)は、大正10年(1921)に架橋された橋(上記写真参照)です。

 昭和44年
(1969)その下流に市荒川橋(長さ281メートル、幅8.8メートル)が完成し、勝山街道で最も重要だった小舟渡橋は役目を終えました。


村岡山遠景(勝山市村岡町郡) 勝山城址(勝山市元町1丁目)


◎ 勝山町【勝山市】

 勝山町は、中世末期まで北袋郷の袋田村があったところで、天正2年
(1574)村岡山に拠った

 北袋一向一揆勢が白山平泉寺と戦い、これを破った戦勝を記念し村岡山を勝山と名づけたことに始まります。

 天正9年頃
(1581)柴田三左衛門が袋田村に城を築き、勝山の名を吉兆として勝山城と名づけたことから勝山町になったと伝えられます。

 慶長5年
(1600)福井藩領となり、大野郡9,930石余を与えられた林長門守が勝山に入りましたが、慶長17年(1612)久世騒動で失脚し、勝山は福井藩直轄地になります。

 一方、慶長6年
(1601)頃の勝山には西町、東町、横町の名が見え、「町方三町」として郡町、

 後町、袋田町の名もあがっていることから、江戸初期には町の形態が整っていたと推定されます。



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長淵のお茶所跡(見性院)[勝山市栄町4丁目] 勝山本町見付けあたり[勝山市本町1丁目]


 
元和元年(1615)一国一城令によって勝山城は取り壊されましたが、寛永元年(1624)松平直基が3万石を得て勝山藩が成立しました。

 続いて寛永12年
(1635)大野郡木ノ本から松平直良が3万5,000石をもって勝山に移りますが、正保元年(1644)一旦廃藩となり、幕府領福井藩預り地になりました。

 元録4年
(1691)小笠原貞信が美濃高須から2万2,700石余を得て入封し、再び勝山藩が成立しました。

 小笠原氏は宝永5年
(1708)城主格を許され、旧城地を利用して勝山城の再建に努めましたが、完成させることができないまま明治維新になりました。


平泉寺菩提林の石畳道(勝山市平泉寺町平泉寺)
南谷坊院跡の石畳道(勝山市平泉寺町平泉寺)


◎ 白山平泉寺【勝山市平泉寺町平泉寺】

 せっかく、勝山まで来たのですから白山平泉寺について、その概要を説明いたします。

 白山平泉寺は、奈良時代初期の養老元年
(717)当地から登拝した泰澄大師が白山を開き、

 その後、白山神社を建てたことで白山頂上と密接な関係ができ、山頂を天領、当社を中宮と称したことに由来します。

 平安時代になると山岳信仰が盛んになり、白山禅定道の登拝口
(馬場)の起点となった当地に修行者や僧侶が集まり、徐々に寺領を拡大していきました。

 こうして白山信仰で栄えた数多くの寺社は、いずれも衆徒
(僧兵)を蓄え、天領をめざし勢力を争う一方、外に向かっては連合して白山の権威を守りました。

 平安中期
(10世紀後半)から、にわかに堂塔が増し、寺領を広げて平泉寺の勢いが強くなっていきます。

 平安末期には修験道の霊山白山を背景とする一方、延暦寺末寺となって天台宗に属し、

 権威甚だ高く、広大な寺領と荘園、それに法衣の下に鎧を着た僧兵の戦闘集団を所有するようになりました。

 こうして源平、南北、室町、戦国の各時代を通して、時の権力者の間を巧みに渡り歩いて勢力を温存し、

 越前守護朝倉時代に最盛期を迎えて寺領9万石、48社36堂6千坊、僧兵8千人と称するまでになりました。

 しかし、戦国末期に織田信長と朝倉義景の決戦に巻き込まれて苦境に立ち、続いて一向一揆と対決し、最後は一揆の群衆に攻められて平泉寺全山を焼き払われました。



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平泉寺白山神社(勝山市平泉寺町平泉寺)
平泉寺白山神社本社(左同)


 それから10年後、天正11年(1583)2月美濃国境近く市布村へ逃げ延びていた顕聖院の顕海とその弟子専海、日海は平泉寺跡地に帰り、光浄院跡に賢聖院を建てました。

 幸い豊臣秀吉が当寺を保護し禁制を与えたので寺運は順調に開かれ、専海らによって白山禅定道が再興されました。

 その後、大野城主金森長近が別山に、青木秀以が御前峰に社殿を建立しました。

 江戸期の白山平泉寺社領は、白山十里四方及び白山と当社を結ぶ道筋幅20間、長さ6里余を支配するとともに

中宮の境内は長さ21町、幅9町あり、御朱印200石のほか福井藩から100石、勝山藩から30石の寄進がありました。

 なかでも白山は越前加賀両国のいづれにも属さず北国白山と称して特別の行政区域とされ、

 白山平泉寺の支配下にありましたが、明治4年
(1871)加賀国(石川県)に編入されました。

 同時に神仏分離令が下され平泉寺を白山神社に改めるよう指令があり、別当玄成院
(顕聖院)は神官となって宮司平泉家となりました。


郡上藩領若猪野村風景(勝山市若猪野) 下荒井橋(勝山市下荒井・大渡)


◎ 城下町勝山【勝山市街】から箱の渡し【勝山市大渡・下荒井】

 勝山街道は城下の袋田町、郡町
(勝山市本町1丁目〜4丁目)など表筋を通り、城下南端にあたる

 立石町
(勝山市立川町)から左へ折れますと坂谷道(八幡街道)となり、真っすぐ南へ向かうのが大野道でした。

 立石町を過ぎ畦川村
(勝山市畦川)までが勝山藩領、次の下高島村、上高島村、北市村、若猪野村、

 大渡村
(勝山市下高島・上高島・北市・若猪野・大渡)の街道筋の各村々は、元禄5年(1692)から美濃郡上藩領でした。

 若猪野村に郡上藩の陣屋が置かれ、派遣された代官が大野郡内の領地2万4000石を支配しました。

 大渡村から下荒井村
(勝山市遅羽町下荒井)へ九頭竜川を渡ると大野城下へは二里の道程です。

 古来、この渡しは「箱の渡し」と呼ばれ、白山を開いた泰澄大師が、この渡しを箱舟で渡った所と伝えられます。



下荒井のつり橋(勝山市・大正末期) 勝山街道下荒井付近(勝山市・明治31年頃)


◎ 箱の渡し【勝山市平泉寺町大渡・遅羽町下荒井】

 現在、この付近には下荒井橋が架橋され、一日約1万台の車が行き交う国道157号が通っていますが、

 ここは古来から大野と勝山を結ぶ交通の要路として利用されてきました。

 上流にダムが完成するまでは、九頭竜川の本流と支流の真名川が合流する地点に近いため、

 平常でも凄い水勢がありました。この橋のルーツは明治35年
(1902)の舟橋が架けられたときに遡ります。

 それ以前は下荒井の渡しと呼ばれ、人や物資は舟で渡っていました。下荒井村は、かって川の中洲にあり、村人は山形橋で往復していましたが、

 享保11年
(1726)女神川の山抜けと文政8年(1825)の洪水で現在地に移住し、明治35年舟橋ができるまで渡し場を勤めました。

 さらにその昔は「箱の渡し」と呼ばれ、泰澄大師が白山登拝に際し、この九頭竜川を箱に乗って渡ったので、

 この名がついたという伝承をもちます。箱の渡しは、現在の下荒井橋から約400メートル上流にありました。

 現在、左岸の下荒井側に大きなケヤキの木があり、木の下の大岩に「元禄□年八月」と年号のある大日如来立像の線刻と舟をつないだ鉄輪が残っております。



「箱の渡し」遺跡と大ケヤキ(勝山市下荒井) 下荒井の舟橋(勝山市・明治35年頃)

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主な参考文献

角川日本地名大辞典18福井県     角川書店発行
図説 勝山市史                    勝山市編
勝山の歴史              勝山市教育委員会編
越前/若狭 歴史街道             上杉喜寿著
福井県史通史編                    福井県編
白山の栞                       平泉  洸編
 加賀越前と美濃街道      隼田嘉彦・松浦義則編
福井県の歴史散歩                山川出版社


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