東部カナダ旅行5


カナダ東部にあるメープル街道周辺地図 

7 第6日目…モントリオールからドーバル(ドルバル)国際空港へ

▼モントリオールの概要

 カナダでは第2位、ケベック州では最大の都市であるモントリオールは、モダンな高層ビル群と古く歴史的な建築物が見事に調和し人々を惹き付ける。

 美術館をはじめレストランや公園、おしゃれな高級ブティックなど、フランス語圏の人と英語圏の人が交じり合って生まれた、国際色豊かな都市の魅力を感じさせる。

 地下鉄やバスの公共交通機関が発達し、治安も良く、海路と陸路の交差地点で貿易都市としても有名である。

 カナダではオンタリオ州のトロントに次ぎ人口・経済規模で第2の都市であり、ケベック州では最大の都市である。

 住民の大半がフランス系カナダ人を中心にしたヨーロッパ系だが、市内の人口の31.7%は非白人と世界各地からの移民も多い他民族都市でもある。

 周辺地域を含むモントリオール大都市圏の人口は約380万人で、これは北米で15番目、世界でも第77位の規模である。

 面積は約4千㎢。モントリオール大都市圏の住民の7割弱が第1言語をフランス語とし、フランス語圏ではパリとキンシャサに次ぐ規模である。

 フランス文化の薫り高い異国的な雰囲気、美食の町、石造りの住宅街、街中にある数多くの教会、石畳のヨーロッパ調の旧市街の街並みなどから観光客向けに「北米のパリ」と宣伝される。

 一方では、都市圏の住民の1割強の第1言語は英語であり、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて英国系移民によって街が発展してきたのでヴィクトリア朝の建物が多いなど英国文化も色濃く残り、北米文化と混合している側面がある。

▼歴史概観

 1535年、ジャック・カルティエが訪れたとき、現在のモントリオールには先住民イロコイ族の砦があった。1603年、サミュエル・ド・シャンプランが訪れた後、1641年にポール・ド・ショメディ・メゾンヌ―ヴによって街が建設され、1642年からフランス人の入植が始まった。

 モントリオールは毛皮取引の中心地となり、またフランス人冒険家たちの拠点として使われた。1760年、イギリス軍に占領されるまではフランス領土であった。

 1832年、市に昇格し、1844年から1849年にかけて英領カナダ州の首都となった。1861年から1933年の大恐慌までの間、モントリオールは経済的に発展し、黄金時代を迎えた。

 二つのカナダ横断鉄道がモントリオールを通り、モントリオールは経済的にカナダで最も重要な都市となった。

 こうして、かつてはカナダ最大の都市であったが、1970年に発生したオクトーバー・クライシスといわれる要人誘拐殺人やイギリス資本を標的とした爆弾テロ事件が多発し、

 軍出動の戦時措置法が発動されるなど社会が混乱し治安が悪化した。その上、フランス語単一公用語化に伴い、多くの企業が本拠地をトロントへ移動させた。

 その後、ケベック解放戦線の主要メンバーが検挙されるなど社会は鎮静化し治安も回復し、現在は他の北米地域に比べ安全といわれる。

▼モントリオール市内の観光

 6:00起床、6:30頃1Fレストランで朝食、8:00ホテル出発、モントリオール市にあるノートルダム大聖堂などを観光後、市内から西へ約22km離れた国内線とアメリカ線が発着しているドーバル(ドルバル)国際空港へ向かった。

モントリオールの位置⑦  ノートルダム大聖堂の外観 
 
モントリオール中心市街地

▼モントリオール・ノートルダム大聖堂

 この大聖堂は、カナダのケベック州モントリオールの歴史地区にあるバシリカ式聖堂の名称である。

 特に聖堂はアルム広場に面し、モントリオール旧市街、聖スルピス通り(アルム広場地下鉄駅)の一角にある。

 聖堂内部は世界でも最も印象的なものの一つで、内観は壮大かつ色とりどりで、天井部は濃い青色と金色の星で装飾され、その他の神聖な場所は青、空色、赤、紫、銀、金色といった多色の彩飾が施されている。

 更に、何百という入り組んだ木製の彫刻作品や複数の宗教的な彫像で埋め尽くされ、内陣の壁に沿って作られているステンドグラスの

 窓は聖書からのものではなく、モントリオールの宗教的歴史からの場面が描写されており、教会としては稀であるという。

 また、内部にはカナダにあるカサバン・フレール社のカナダ製パイプ・オルガンがあり、7000本ものパイプを使用している。


 この聖堂の沿革をみると、1657年、カトリック教会の聖スルピス会が上陸し、ヴィル・マリー(現在のモントリオール)の土地を支配した。

 彼らが設立した教区はイエスの母マリアの名の下に奉納され、1672年、この区域にノートルダム聖堂が建設された。

 1824年信徒集団が大きく成長し、1843年新たに北米最大の豪華で壮大な聖堂が建設された。教会が豪華かつ壮大な規模のため、より親しみやすい礼拝堂のカナダ・サクレ・クール教会堂が聖堂の後ろ側に沿って建てられた。内部の完成まで時間を要し、竣工したのは1888年のことである。

 しかし、1978年12月サクレ・クール教会堂は大規模な放火によって破壊された。その後教会堂はケベック彫刻家・シャルル・ドードランにより

 1,2階部分にかつて存在していた絵画や写真等の古い内装から、近代的アーチ系構造と装飾壁及び巨大な背後・上部の装飾等のデザインに一新して再建された。

 同聖堂は1982年4月、当時モントリオールを訪れていたヨハネ・パウロ2世によってその内部バシリカ建築の地位が高められた。

 ノートルダム大聖堂内観  ノートルダム大聖堂前広場
大聖堂前に立つ石像彫刻 大聖堂前に立つ石像彫刻

▼ドーバル国際空港からデトロイト国際空港へ

 ドーバル国際空港を12:15発のノースウエスト航空337便に搭乗、デトロイト空港へ向かう。

ドーバル国際空港 デトロイト国際空港

8 第7日目…デトロイトから名古屋へ

▼デトロイト国際空港から名古屋空港へ

 14:05デトロイト空港へ到着、ロビー待合室で休憩し、約2時間後の15:55発ノースウエスト航空071便にA54ゲートから搭乗、16:20離陸し名古屋空港へ向かった。

 途中、日付変更線(+13時間)を通過し、翌日18:20名古屋空港に到着、入国手続きを済ませ帰宅した。

デトロイト国際空港 名古屋空港へ

9 東部カナダ旅行を終えて

▼感想

 見どころはナイアガラの滝、霧の乙女号に乗船しナイアガラ瀑布を間近に体験したこと、ケベックシティを散策したこと。

★宿泊ホテル

 5泊したホテルは、どこも設備が良く満足できた。特にオタワで宿泊した古城のようなホテル(フェアモント・シャトー・ローリエ)は素晴らしかった。


★食事

 やっぱり、食事は和食に勝るものはない。外国は日本人の味に馴染まないものが多い。しかし、ケベックシティで食したシーフードパスタは例外で、非常においしかった。

★景色

 メープル街道の紅葉は、少し早すぎたように思った。あと1週間遅く来たら最高の紅葉風景が見られたであろう。

★その他

 おや?と奇異に感じたのは、カナダではどの車も昼間なのにヘッドライトを点けて走っていたことである。聞くと、カナダは霧がひどいので、つけ忘れを防ぐためエンジンをかけると点灯する車になっているとか。数年前に法律が改正されたようである。

 カナダ全土の地図

10 カナダのプロフィール

 旅を終え、おさらいの意味でカナダの概略を知っておきたい。結論から言えばカナダは街道沿いに国づくりが始まり、大自然と民族との共栄を実現させた国である。

▼気候・風土

 北米大陸の北半分を占めるカナダの総面積は約998万㎢。世界で2番目に広く、日本の26倍以上におよぶ。国土は、10州と2準州で構成され、六つの時間帯を採用している。

 地形は大きく三つに分かれ、ロッキー山脈が走る太平洋沿いには3000~6000m級の高峰がそそり立つ。中央部には大平原が広がり、東部から南部にかけては丘陵地帯を形成している。

 国土が広いため、気候は各地で異なる。北部は寒帯気候で、1月には氷点下30℃になることもある。東部、中部も同緯度のヨーロッパ各地に比べてやや寒冷である。

 セントローレンス川流域と大西洋岸南部、五大湖周辺は比較的温和だが、冬の寒さは厳しい。五大湖周辺の6月中旬~9月中旬の日中の平均気温は約20℃である。

 ときには30℃以上に達することもあるが、一日の温度差が大きいので、真夏でもセーターは必需品である。秋はさわやかに晴れた日が多い。

▼人口・言語

 カナダの総人口は約2996万人で、その約3割がトロント、モントリオール、ヴァンクーバーの三大都市に住んでいる。

 約40%がイギリス系、約27%がフランス系で、他にドイツ系、イタリア系など様々な民族で構成されている。先住民は混血を含め約1.5%である。

 そのほとんどはアルゴンキン系に属し、他にイロコイ系、セーリッシュ系、イヌイットなど。公用語は英語とフランス語だが、ケベック州ではフランス語のみが公用語となっている。

▼宗教

 ヨーロッパからの移民が多いこの国では、大多数がキリスト教を信仰している。なかでもカトリック教徒が全体の4割近くと最も多く、カナダ合同教会、英国国教会などのプロテスタントが続く。

 モントリオールをはじめ、各都市には豪華な彫刻やステントグラスで飾られた教会が建っている。

▼文化・芸術

 国民の9割近くがヨーロッパからの移民で構成されるカナダでは、独自の文化を育てようと国や民間企業が芸術家を積極的に支援している。

 世界的にも有名なモントリオール国際ジャズ・フェステバルやトロント国際映画祭をはじめとするフェステバルやイベントの開催はその一例である。

 恵まれた環境のもと、芸術家たちも自由な創作活動を行っている。近年はモダンアートの創造の中心地として、音楽、演劇、映画など様々な分野の芸術家が活躍。一方で先住民族独自の文化も大切に保護されている。

▼産業・経済

 20世紀初めまでカナダ経済の主体は農業であった。その後、農業・鉱業・林業・漁業などの一次産品の加工業や、オンタリオ州を中心に自動車、機械、鉄鋼業などが発展し、世界有数の先進工業国へと成長した。

 それに伴い1973年から’95年までに国内総生産は80%も増加した。他の先進国同様、産業構造は一次産業や製造業からサービス部門中心へと移行しつつある。

 また、石炭、石油、天然ガスの埋蔵量は世界のトップレベルを誇る。カナダには、年間3800万人もの観光客が訪れ、観光業も主要産業の一つである。

▼カナダ年表

 1498年  イタリア人カボットがニューファンドランドを探検する。
 1534年  フランス人ジャック・カルティエがセント・ローレンス湾を探索し、一帯をフランス領と宣言する。
 1583年  イギリス人ギルバートがニューファンドランドを英領と宣言する。
 1603年  フランス人シャンブランがケベック地方に入植する。
 1627年  フランスが本格的な植民地建設を開始。
 1670年  英国のハドソン湾会社が設立され、北部を支配。
 1689年~  支配権をめぐる英仏間の抗争が激化し、度々戦争が起こる。
 1763年  パリ条約締結。フランスの植民地が英国に割譲され、英国のカナダでの支配権が確立。
 1791年  英議会、カナダ法を制定。英国領をアッパー・カナダ(オタワ川以西)とロワー・カナダ(オタワ川以東)に分離。
 1841年  両カナダが統一され、連合カナダ植民地に。
 1848年  英国総督は、連合カナダ植民地に広範囲な自治権を認める。
 1867年  自治領カナダ連邦の発足。オタワが首都に選ばれ、以後、諸植民地が次々に連邦に加わる。
 1885年  カナダ太平洋鉄道完成。
 1931年  英国から外交上の自主権を取得。
 1949年  ニューファンドランド州の連邦加入で、カナダ連邦が完成。
 1964年  カナダ国旗をメープルリーフに制定。
 1969年  英語に加え、フランス語も公用語に。
 1976年  モントリオール・オリンピック開催。
 1982年  自主憲法が制定される。ケベック州政府は批准を拒否。
 1995年  州民投票の結果、僅差でケベック州の分離独立を否決。