2003.10 世界遺産合掌造り集落五箇山を見学し散策してきました。その思い出風景を紹介します。
国道304号から少し入った段丘に、24棟の合掌造り家屋が建ち並ぶ世界遺産相倉集落。早朝、霧に包まれた集落は、まるで時が止まったかのようです。 心の原風景に出会えたような懐かしさを感じさせます。そんな集落内をゆっくりと散策しました。 先人の想いを受け継ぎ、大切に守られてきた合掌造り家屋と山村風景は、深い絆で結ばれ、暮らしてきた山人のぬくもりを今に伝えています。
富山県の南西部に位置する五箇山は、急峻な山々と深い谷が続く、山峡の地。五箇山とは、平村、上平村、利賀村の3村の地域を総称する呼び名です。 庄川沿いに赤尾谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷間に集落があり「五ケ谷間」を音読して「ごかやま」と呼ぶようになったのが名称の由来とのことです。
かっては鳥も通わぬ秘境といわれた五箇山ですが、現在は、安房トンネルや東海北陸自動車道・五箇山ICの開通によって、交通事情も格段と良くなり、四季を通じて五箇山を巡ることができます。
この古民家は、五箇山(平村)の上梨地籍、国道156号沿いに建っている国指定重要文化財村上家です。約400年前に建てられ、当時の建築様式を残した合掌造り民家です。
藩政時代、政治的に危険とされた人物が、五箇山の流刑小屋に幽閉されました。現存するものでは日本唯一の流刑小屋とのことです。 古民家村上家前の国道156号を横断して、向かい側の庄川渓谷に架かる橋を渡りますと流刑小屋があります。
間口2.7m、奥行3.6mあり、昭和40年(1965)10月1日 富山県有形文化財に指定されました。 加賀藩の流刑地として罪人が五箇山へ送られてきたのは、寛文7年(1667)が最初とされます。以来、明治維新まで約200年間に150余人がここに流されてきました。 流刑地は庄川右岸の7集落(猪谷、小原、田向、大島、篭度、大崩島、祖山)に限られていました。 藩は、流刑人の逃亡を防ぐため庄川に橋を架けさせず、一人では往来できない篭の渡しを使わせました。 流刑小屋には集落内に限って出歩ける平小屋、一歩も外へ出られないお縮小屋、小屋の中に更に狭い檻を作って閉じ込める禁錮の3種類がありました。 お縮小屋と禁錮は牢番が食事を柱の穴から差し入れるだけでした。このお縮小屋は、 明治以降は、物置に利用されていましたが、昭和38年(1963)の豪雪で倒壊したため、古文書を参考にして復元したものです。 |